まちの成り立ち
美しい自然とその地に根付いた文化や歴史を学ぶ。
朝来市竹田地区は、兵庫県但馬地方に位置し、戦国時代の名城「竹田城跡」の麓に広がる歴史あるまちです。
歴史と自然が調和した魅力的な地域をぜひお楽しみください。
戦国の歴史が
息づく
竹田城跡の城下町は、戦国時代において重要な拠点として栄えました。竹田城は、但馬国と播磨国を結ぶ要所に位置しており、周囲の山々とともにその防御力を高めていました。城下町は「竹田千軒」と呼ばれ、商業や文化の中心として発展し、多くの人々が集まりました。特に、竹田城が築かれた理由の一つは、戦国時代の激しい戦闘と、それに伴う拠点の必要性からです。城下町には商人や職人、そして武士たちが住み、賑わいを見せました。また、竹田城が廃城となった後も、姫路と豊岡を結ぶ街道沿いに位置していたため、交通の要所として町の賑わいは続きました。竹田城跡の周辺には、今でも当時の町並みや文化が色濃く残り、訪れる人々に歴史を感じさせる静かな空気を与えています。特に、円山川を見渡しながら城跡を眺めることができる景観は、町の歴史と自然の美しさを同時に感じられる場所として、多くの人に愛されています。
天空の城 竹田城跡
国史跡 竹田城跡は、平成18年に日本城郭協会により「日本100名城」に選定され、毎年多くの方が訪れます。天守台を中央に南千畳・北千畳・花屋敷が放射線状に配され、城の築かれている山全体が、虎が臥せているように見えることから「虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)」とも呼ばれています。
秋から冬にかけてのよく晴れた早朝に雲海に包まれた竹田城跡を見ることができ、その姿は天空に浮かぶ城を思わせ、幻想的な風景です。

酒造り約400年の歴史をもつ酒造場
旧木村酒造場は、中世の竹田を代表する人物、木村新左衛門が残した歴史的文化遺産の一つです。木村家のルーツは武田信玄の家臣、飯尾右京之進直利の次男で、武田氏滅亡ののち姓を木村に改め、現在の加古川に蟄居したと伝わります。
木村家が竹田に移り酒造りを始めたのは寛永2年(1625年)頃。その後2度の火災に遭って明治35年頃、現在の建物が再建されました。




